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トーク&スピーチ

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自分のことを名前で呼ぶ女性の心理

トーク・スピーチ

 

土曜の深夜、ふとテレビを付けたら、番宣で観たことのある浜崎あゆみさんのドラマに遭遇しました。

「あぁ、これが『M 愛すべき人がいて』っていうドラマなんだぁ」と思いながら数分見ていたのですが、5分でギブアップ。

ドラマの作りが気に入らないとか、俳優さんの演技がどうのとか、
まったくそんなことではなく、
浜崎あゆみ役の女優さんが、
自分のことを「あゆはね…」と言った瞬間、
ギブアップしてしまったのです。

自分で自分の名前を呼ぶ人、敬遠症なんです。(笑)


浜崎あゆみさんは、プライベートでも本当に自分のことを「あゆ」と呼んでいるのか、ドラマだからあえてそういう「セリフ」にしたのかは分からないのですが、小学校に入学するあたりから、自分のことを名前で呼ぶのは卒業したほうがいいのではないか、という持論があります。



では、なぜ自分のことを名前で呼んでしまうのか、
トーク心理学的な性格的特徴をお伝えしましょう。

成人しても自分を名前で呼ぶ女性の共通する大きな欲求は「特別視願望」です。



特別視をして欲しい理由は人それぞれですが、
過保護だったり、
逆に自分の存在感を得られない環境で育ったりということが往々にしてあります。

どんな過程であっても、成人してからも自分を名前で呼ぶ人の深層には、「私はみんなと違う特別な存在」なんだから、「私にもっと注目して」「私は素敵」「みんなと同じ扱いはイヤ」という、『特別視願望』があります。

だからこそ、みんなと同じ「私」では、ダメなのです。



とはいえ、「自分は特別」という気持ちは、誰の深層にもあります。

実際、ひとりひとりが特別な人間であることは間違いありません。

ですが、「自分は特別」から「自分は特別扱いされるべき」という領域に入りがちなのが、自分を名前で呼ぶ人の特徴です。



これは、苗字を自分で呼ぶ人も同じです。「佐藤はそう思う」というように。
代表的なのは、矢沢永吉さんです。

矢沢さんは、自身で成り上がりと言っているように、自分を「やざわ」と呼び、自らを「特別視」することでのし上がってきました。


ただ、彼の場合は、ブランディングです。

意図的に「特別視」を演出していますし、ファンはそれをどこかで分かっています。


こうした意図的なブランディングでない限り、自分を名前で呼ぶ人が煙たがれ手しまう理由は、特別視願望が『自己中心的』に映ってしまうからです。

自己中心的な人は誰だって「面倒だな」と感じてしまいますよね。

裏を返せば、自分は特別だとアピールしなければ認めてもらえないという不安を隠し持っているということも事実です。


人はひとりひとり個性があり、強みがあり、魅力があります。

不安を拭い去る意味でも、小学校に入ったあたりから、自分を名前で呼ぶことを卒業し、一人称は「私」にしてはどうかと心から思います、。

「あゆ」から、「私」に台本を変更してくれたら、
このドラマの視聴率も上がるかもしれないですし。
私、1名分だけ(笑)。

 

 



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